十月いつか

お茶の時間

十月いつかで、お茶の時間に日々の制作で気になっていることを言葉にしてみました。

人のためになんて描けないよ

作成日: 2021.4.1

こんにちは、Gakuです。

普段から絵描きとして十月いつかで制作をしております。このページでは、普段制作をしていて疑問に感じたことと、それを実際に調べたことをまとめようと思い作成しました。もしご興味があれば、お付き合いくださると幸いです。

もくじ

  • 選ばれる生き方に疲れたよ
  • 人のためになんて描けないよ
  • そんなんだから大切な人を不幸にするんだよ
  • でもやっぱ人の評価でがんばるのは疲れたよ
  • お先は真っ暗だよ

選ばれる生き方に疲れたよ

好きで絵を描いて生きてきましたが、気がつけば、大学受験、奨学金、コンクール、就職活動、SNS……絵を人に見てもらって、それを評価されて生きてきて、今後も評価を得るためにがんばっていくことになっていました。

人に見せられる実績がなければ世の中では何もできないぜと、よく言われます。

つまり、人に絵という成果を認められなければならないのですが、認められれば苦労しません。それでも絵を描き続けるために、何とかどこかで評価されようとがんばるわけです。

でも、自分を評価する・選んでくれる立場の人たちって、大抵は結局、成功して上にいる人たちなので……どこまでいってもその時そのときの成功者の評価軸で戦って認められなければいけないわけで……。

ふと自分の作品を見返すと、自分の評価軸ではなく人の評価軸に沿って描いた作品ばっかりになっています。人に認められれば嬉しくて嬉しくて、何倍も元気が湧いて、もっと喜んでもらおうと描きまくるんですけど……。あるとき、がんばって人のために描いた絵が気に入ってもらえなかったとき、怖いくらい絵がどこにもない場所にあるかのような、宙ぶらりんになった気分になります。

人のためになんて描けないよ

絵描きを職業にするなら、絵で人を喜ばせて社会貢献しなければなりません。人を喜ばせることでお金がもらますし、認められますし、もっと描き続けていいよと言われます。

マーケットインだとか、デザイン思考だとか、人のニーズに応えることが大事な状況ってたくさんあると思います。美術大学を通る途中で、「人のために作るのがデザイン、自分のために作るのがアートなんだよ」と何度も教わりました。世の中に出ていくには、デザインまでと名がつかないまでも、人のために絵を描く気持ちを忘れてはいけないようです。

でも、少しでも人に認められない期間が、続けば続くほど、自分を認めてくれない世の中が嫌いになっていきます。好きな人もいますが、嫌な人もたくさんいます。赤信号を無視する人、ポイ捨てする人、人を「使う」という人、僕の一張羅の服をすれ違いざまに笑ってくる人……。そんな不特定多数の顔の見えない人たちを「世の中」と規定して、その顔の見えない人たちの喜ぶ顔のために絵を描くことがどうしてもできません。社会貢献とか無理です。

ていうかそもそも人があんまり好きじゃありません。人脈を築こうとか、友達100人作ろうとか、吐き気がします。一人でいるのをごまかしてるだけです。自分が親友だと思っていても、相手は自分を5番目くらいの友達だと思ってます。相手の大切な人にはどうやってもなれません。自分の成長のためにダサい人間とは付き合わないとかダサすぎます。

でも幸い、身近な人たちは好きです。

でも悲しい話、身近な大切な人は自分の描いている絵のことをよくわかっていません。なんか売れてないけど描いてるらしいと思っています。

そんなんだから大切な人を不幸にするんだよ

世の中に認められれば、周りの大切な人たちも自分のことをようやく認めてくれはじめます。コンクールで賞をとったり、有名な巨匠に褒められたり、絵が売れて評判になったり……。自分の成功を我がことのように喜んでくれます。それでああ親孝行ができたな、好きな人に釣り合う人間になれたかな、と思えます。

でも認められることなんて滅多にありません。基本的に貧乏で売れない絵を自己満足で描いている人を身内に抱えている状態です。親は不安がりますし、ご近所の世間体もだいぶ気になります。好きな人には一緒に暮らすお金もないし、せめて愛はあっても、評価されない自分を我がことのように悲しみます。

そもそも自分が憐れまれるのは心底苦しくて死にたくなりますが、自分を大切にしてくれる人たちは自分が憐れまれていることをもっと悲しみます。その上で一番憐れんでくる存在でもあるんですけど。

でもやっぱ人の評価でがんばるのには疲れたよ

かといって、成功した人の評価軸で回ってる世の中は恨めしいままですし、人のためには描けません。自分が良いと思ったものならなんとか描ける気がします。

でも自分の価値観もそう長くは持ちません。評価されないままでは自信も徐々になくなっていきます。自分が好きだといってもわりと限界があります。

そこに追い打ちをかけるように、自分の大切な人たちも自分を大事に追い詰めてきます。少しでも売れそうな絵があればそれを描くよう懇願されますし、心の中では大切に思ってくれてるとはいえ、成果を出せないまま行き詰まっている自分につい心無い言葉をかけてもしまいます。夢があることも理解してくれるけど、自分が感じている不安以上の不安の波が日夜大切な人たちに押し寄せています。

実際のところ味方はいるけど、まるでいる気がしません。

世の中に認められて実績が作れれば変わるんでしょうが、もう世の中が嫌いでたまりません。負のスパイラルの真っ只中です。

お先は真っ暗だよ

世の中が嫌いなので、なんとか自分の理想をかき集めて絵を描きます。だいたい空中分解しますが、それでもそれ以外方法が見つかりません。描く度に身内に渋い顔をされますが、それ以外方法が見つかりません。

それでもたま〜に「おっなんかいい絵が描けたぞ!」と自信を取り戻せるときがあります。それも身内に否定されるので、さらに数は減らしますが……。ごくたまに描ける、自信のある絵はたしかに存在します。時間が経つと賞味期限のごとく気に入らなくなりますが、時間が立ってもやっぱり気に入っている絵はたしかに存在します。

そんな絵の強いこと強いこと。多少批判されても凹みません。絵の作品強度が高いです。物理的には他のものと同じくらいですが、精神的にはまったく違います。絵が世界に自立している気がします。あくまで自分の世界の中でですが。

でもそれが、自分の支えになっていたりします。それこそが自分の評価軸になって、地面に刺さっているかのようです。人に喜んでもらうための絵にはたくさんの幸せがありますが、人が喜んでくれなければ空中分解します。自分が気に入っている作品は自分しか喜びませんが、自分が辛くても立っていられます。まあ地に足がついているわけではないのですが……。

自分で自分を支えているようです。独りよがりの絵とはまさにこのことなのかもしれません。


何とか自信のある絵を描くためにがんばるしかないよなぁ……と思います。文字通りそれしかない感じです。

自分の幸せのために周りを不幸にしてでも絵を描きます。将来的に他の誰かを幸せにする可能性はなくはないですが、まずは自分の幸せのために描きます。エゴのかたまりの絵心です。ヤバいですよね。

今後もお先は真っ暗です。今もまあまあ馬鹿にされますが、馬鹿にされる回数は日に日に増えていくことでしょう。

それでも自立する絵がなければ、自分がもう人の評価の嵐が吹き荒れる世の中では立っていられません。でも逆に、独りよがりにさえなれれば、縁が遠くなった知り合いに馬鹿にされても、家族や好きな人に憐れまれてもやってける気がします。

十月いつかでは、そんな感じで作品制作中です。

たぶん、これってプロダクトアウトだ。

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